‘環境’ カテゴリーのアーカイブ

手持ち無沙汰の効用

2011年11月21日 月曜日

最近発見したことですが、私は手持ち無沙汰な状態に身を置くとかなり集中して仕事や作業ができるということに気付きました。

例えば家でダラダラしている時には、あまり本を読みたいと思うことはありませんが、電車に乗って他にやることが無い状態(手持ち無沙汰な状態)にすると集中して本が読めます。

また、ずっとやらなくてはいけないと思っていながらなかなかできていないようなことも図書館の学習机に本を持たずに座ることで自然と集中してできることが多いです。

「やらなくてはいけない」という負担の気持ちから、「他にやることがないので○○でもしようか…」というちょっと前向きな気持ちに変わるように思います。

あ そういえば仕事中でも、あまり気が進まない仕事をやるときには近くの喫茶店に出ると不思議と思ったより早く終わることがありますね。

もっとも普通の方は私ほど気分のムラがないでしょうから手持ち無沙汰にしなくてもきちんとできるのかもしれませんが…

 

節電あまり騒がれなくなりましたが…

2011年11月18日 金曜日

騒がれなくなりましたが、企業の節電努力は今も続いています。

例えば、電車はいまだに蛍光灯を間引きしたままですし、駅の照明も以前よりは明るくしていますが、まだ落としている状態です。

そんななか、とても感心したのが東京モノレールの取り組みです。

暗い駅や、地下を走る時は間引きした状態で照明を付け、比較的明るいところでは照明をこまめに切っているのです。

以前、Discovery Channelでやっていた実験では、蛍光灯の場合は20秒以上消した状態でいるなら消した方が経済的ということをやっていました。
(それ以下だと頻繁に点灯消灯を繰り返すことで電球の寿命が縮むので電気代よりも電球代が高くついてしまう可能性がある)

使わない電気を消すことで東京モノレールさんの利益が増えるのなら私は大賛成です。

環境に優しいことをして、企業の利益が増えることで税収が増えるのですから是非これからも続けて頂きたいと思います。

私のように電車の中で本を読む人間は、電車に乗って蛍光灯が間引きされていない場所を探すのがちょっとした手間ではありますが、どうということはありません。

 

JR浜松町駅のホームにモノレールの足

2011年11月17日 木曜日

JR浜松町駅のホームの真ん中にモノレールの足(柱)が立っています。

よく見ると占有証のような意味のラベルが柱に貼ってあります。

ホーム自体はJRの土地でしょうから、そこに柱を立てるということはそのスペースを東京モノレールがJR東日本から借りているのだと思います。

実質の面積は30cm×30cm程度…

さてこの借り賃は一体いくらなんでしょうか?

月額10万円? 3万円? それとも 1万円?

それからこの柱にぶつかって怪我した人がいたらJRさんはどのように対応するのでしょうか?

身近なちょっとした疑問です。

詰め替え用の量が少ない本当の理由

2011年11月7日 月曜日

以前にシャンプーや食器用洗剤の詰め替え用の量が容器ごと買うのと比べて少なくなっていて、容器ごと買うのより値段設定を安くできるので、容器を再利用する人が増えてとても良い というようなことを書きました。

でも実はそれ以外にも量が少ない理由があることに最近ようやく気付きました。

それは、容器の中にまだ少し残っている状態で詰め替えをしてもあふれることがないということです。

詰め替え用の量と容器ごと買うときの量を同じにしてしまうと、容器に少しでも残っていたら溢れてしまうのです。

きっとこれが主な理由なのだと思います。

でも私が最初に思いついたのが、企業が消費者にトリックをかけて安く見せるという貧困な発想でした。

それを賢い消費者ぶって偉そうに書きましたが、ただの貧乏根性でした。

恥ずかしい…

原発事故と子供の体重

2011年10月29日 土曜日

「原発事故の影響で子供が外で遊べず、子供の体重に異変が…」

という出だしで始まったニュースをみて私は「やっぱり運動不足だから太っちゃうだろうなぁ…」と勝手に自分のことと結びつけて思い込みをしていました。

ところが、この後に続くアナウンサーの言葉が予想外だったため全く理解ができませんでした。

「子供達の体重増加が昨年の同じ時期より少ない」というのです。

ん? 問題は肥満ではなく太れないこと? あれ? と少し困惑している私にニュースは続けて地元の医師の話を紹介します。

「昨年の4月から9月までの子供の体重増加は3.1kg。 しかし今年は同じ時期で0.8kg。」

ただし、このデータが原発事故と関係があるのかはまだ分からないとのことでした。

 

ここからは私の勝手な想像ですが、外で思いっきり遊べないため筋肉が増えない、ストレスがたまり食欲がない、骨への刺激がないため成長を促すシステムがうまく動いていない…というようなことが起きているのかもしれません。

原発事故の影響はもしかしたら放射能汚染だけにはとどまらないのかもしれません。

日本では最前列は残り物… アメリカでは宝物

2011年10月24日 月曜日

先日あるセミナーに参加したときのこと、少し遅れて来た方が席を探してきょろきょろしていると、講師がおっしゃりました。

「遅れてくる人は前の方しか席は空いていないのは、常識です。後ろに座りたければ早めに来ましょう。さぁ観念して前に座ってください。」

最前列に座っていた私はびっくりです。

アメリカの大学生は授業の始まる何分も前から教室の前に並んで、最前列を取り合います。

最前列こそ勉強するには一番良い場所だからです。

なのに日本では譲り合いの精神からか、講師と近いのが嫌なのか後ろから席が埋まっていくなんて…ちょっとびっくりです。

もちろん、大学の授業では日本でも前から埋まっていくのかもしれませんが…。

 

最前列が「残り物」の日本と、「宝物」のアメリカ。

逆カルチャーショックを受けた瞬間でした。

喫煙と被爆

2011年10月23日 日曜日

以前にくわえタバコで「放射能怖いよねぇ」と話しているお父さん達を見て「そのくわえているキャンサースティックの方がよっぽど危ないのに…」と思った話を書きました。

そして先日テレビを見ていたら興味深いお話をしている放射線の専門家の先生がいらっしゃいました。

その先生によると、100ミリシーベルト(マイクロではなくてミリです)の被爆で発がんの可能性が0.5%高まるのだそうです。

そして被曝量が増えるほど比例して発がんの可能性も増えるのだそうです。

つまり200ミリシーベルトの被爆で、約1%発がんの可能性が高まるということらしいです。

そして先生は、喫煙による発がん率の上昇を被曝量に換算すると…というお話をはじめました。

なんとヘビースモーカーの方の場合で1000ミリシーベルト以上に換算できるリスクがあるのだそうです!

詳しい資料をお持ちでないのでだいたいの数字だとおっしゃってはいましたが…1000ミリシーベルトという数字にびっくりしました。

 

文部科学省の発表によると、福島第1原発から10km未満のモニタリングポストの放射線量は約5マイクロシーベルト毎時です。

1000ミリシーベルトというと…

1000ミリシーベルト=1,000,000マイクロシーベルト

1,000,000マイクロシーベルト ÷ 5マイクロシーベルト =200,000時間

200,000時間 ÷ 24 = 8333.33日

8333日 ÷ 365 =  22.83年

…つまり、福島第1原発の近くに裸で24時間いると仮定し、更に放射線量に変化ないとするとなんとその場所に約23年とどまっているのと同じだけの被曝量です!

 

食べ物や水の放射性物質の量は該当するモニタリングポストよりもかなり低いそうなので、タバコを吸っている方は水や食べ物の放射能汚染を気にするよりはタバコをやめた方がよい可能性があるということです…。

そしてお子様の健康を心配するなら放射線よりも副流煙の心配をした方がよい…という可能性があるということです。

よく知らないからとても怖く感じる放射線ですが、私達のまわりにはもっと健康を害するものがあるのですね…

私も休煙中とは言え、タバコを吸っていた身ですから他人事ではありません…。

誰もあなたを傷つけることはできません 2

2011年10月19日 水曜日

前回のはごちゃごちゃと長い説明で分かり難くなってしまいましたが、簡単にまとめると以下のようになるかと思います。

  1. 外部の刺激が「直接」私達の心を打つことはない
  2. 私達の心に実際に直接影響を与えるのは、外界から伝わって動かされた私達の内部にあるもの
  3. 私達が世界をどう見るかで世界が変わるように、世界が自分に与える影響も自分でコントロールできる
  4. 自分の中を変えることは、外界を変えることよりは簡単

 

これこそが、同じ外的刺激を受けても人によって感じ方が違うことの理由の一つではないでしょうか?

私にはこの現象を科学的に説明出来る程の知識はありませんが、少しずつ実践するなかで自分の役に立つということは実感できました。

 

「誰もあなたを傷つけることができない」というのは聞こえがよいのですが、実は同時に他のことも意味しています。

「誰もあなたを幸せにはできない」ということなのです。

つまりあなた自身以外あなたを不幸にする人もいませんし、逆にあなた以外にあなたを幸せに出来る人もいないのです。

もちろん、私達は周囲の人達の助け無しでは生きていけませんし、その人達が私達の幸せに影響を与えることは間違いありません。

でも、最終的にそして直接的に私達が幸せか不幸かを決めるのは、やはり私達自身だけなのだと思うのです。

 

コビー博士が「7つの習慣 」でお書きになっている「Circle of Influence(自分が影響を与えることが出来る範囲)」も、今回のテーマと関係があることだと思います。

また、私が心から信じている「願えば叶う」という現象と今回のテーマは深く関わっているはずです。

この関連についてはまた機会があれば勉強して皆様にご報告したいと思います。

 

 

もし皆様の周囲に「私には何もできない…」とお考えの方がいらしたら是非「あなたならできる。あなたしかできない。」ということをその方と共有して頂ければと思います。

そして、できるならその時の経験を私達とも共有して頂ければ尚うれしいです。

 

みなさまがより幸せになりますように…

誰もあなたを傷つけることはできません

2011年10月18日 火曜日

人の何気ない言動に傷つくことは誰にでも経験があることだと思います。

でも自分を「実際に」傷つけているのは、他人の言動や外部の環境ではなくて自分自身だとお考えの方は意外に少なく思えます。

外部の力が私達の内部の何かを動かし、その動いたものが心を傷つける… こんなイメージだと私は考えています。

分かり難いですねよ…。

何か目に見えるもので似たようなものはないか…と考えてみたところ近いイメージが一つ思いつきました。

昔、雑貨屋さんなどによく置いてあった銀のボールが5つぶら下がっていて端っこの一つのボールをはじくと反対側のボールが飛び出す… あれです。

正式名称は「衝突球」と言うのだそうです。(youtubeに素晴らしい動画がありましたのでリンクさせて頂きました)

 

 

画面の右側2つのボールが「外界」、左側2つが「自分の内側」、そして真ん中の一つが「境界」と考えて見てください。

外界からの影響は直接内側の心に触れるわけではなく、境界を通じて内側のボールを動かします。

そして、心に直接当たるのは内側のボールなのです。

だからなんだ?と思われるかもしれませんが、これは結構すごいことなのです。

外側からの力をコントロールすることは私達には難しいのですが、内側は多くの場合自分でコントロール出来ます。

最初は難しくても練習をすればだんだん出来るようになると思います。

例えば、外界からの刺激が境界を通じて内側に来たときに、その衝撃が隣のボールに伝わらないようにしたらどうでしょうか?
(ショックを吸収するシリコンをつけるとか、衝撃の動線からずらしてしまうとか…)

内側のボールが心をたたくこともなくなりますので、痛くはないわけです。

 

世界はあなたがうごかしているでも書きましたが、私達がみる世界は私達がその世界をどのように見たいかによって全く違うものになります。

それと同じように、外側の世界が私達に影響を与えるときにも、私達自身がそれをコントロールすることが出来るのです!
(実際に意識しなくても人間が短時間にあまりにも大きな衝撃を受けると、内部にその衝撃を伝えないようにするメカニズムが自動的に動くことがあるそうです)

 

みんな同じ…

2011年10月16日 日曜日

飲んで帰る埼京線のなか… たまたま女性の姿はなくたくさんのサラリーマンが座っています。

なんてことのない日常の風景のはずが、今回はなんだか違和感を感じます。

女性がいらっしゃらないから?

節電で電球が間引きされているから?

いや…そうではなさそうです…

その状況をもう一度よ~く見直してみてようやく気付きました。

みんな同じ格好をしているのです!

スーツ、ワイシャツ、革靴…。

同じなのは当たり前だと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、これってよく考えたら結構変なことなんじゃないかと改めて思いました。

同じ会社の人達ならユニフォームと思えばいいのでしょうけど…まったくの他人が数十人まったく同じ格好をしているのに今更ながら違和感を感じました。

そして…自分の格好がなんだか少し恥ずかしくなりました。