‘ありがとうごめんなさい’ カテゴリーのアーカイブ

陸前高田訪問

2013年1月12日 土曜日

震災の1週間後から私は妻の実家で独り暮らしの義母の生活の手伝いで福島にいました。

原発の心配ももちろんあったのですが、水道が止まってしまってい、足の悪い義母は給水所に水をもらいにいくことも出来なかったのです。

そんななかテレビの震災関連のニュースで陸前高田という地名を初めて聞きました。

その瞬間「あ 自分はこの場所に呼ばれている」というなんともいえない不思議な感じがしたのです。

震災で神経が高ぶっていたこともあるのだと思いますが、はっきりとそう感じたように記憶しています。

 

そして震災から1年10ヶ月が経った今日、私は陸前高田に向かう新幹線の中でこのエントリーを書いています。

一関まで新幹線で行って、そこから車を借りて陸前高田に向かう計画です。

楽しみではありますが、私らしくなく珍しく神妙な気持ちです。

詰め替え用の量が少ない本当の理由

2011年11月7日 月曜日

以前にシャンプーや食器用洗剤の詰め替え用の量が容器ごと買うのと比べて少なくなっていて、容器ごと買うのより値段設定を安くできるので、容器を再利用する人が増えてとても良い というようなことを書きました。

でも実はそれ以外にも量が少ない理由があることに最近ようやく気付きました。

それは、容器の中にまだ少し残っている状態で詰め替えをしてもあふれることがないということです。

詰め替え用の量と容器ごと買うときの量を同じにしてしまうと、容器に少しでも残っていたら溢れてしまうのです。

きっとこれが主な理由なのだと思います。

でも私が最初に思いついたのが、企業が消費者にトリックをかけて安く見せるという貧困な発想でした。

それを賢い消費者ぶって偉そうに書きましたが、ただの貧乏根性でした。

恥ずかしい…

「そ・わ・か」の法則 心を込めないありがとう

2011年11月5日 土曜日

先日ご紹介した「そ・わ・か」の法則に ありがとうを2万五千回 心を込めなくてもよいから言うと良いことが起きる という内容のことが書いてあります。

私がこの本をおすすめした方からは、これを読んで「本当に心を込めなくてもよいのか? それでは意味が無いのではないか?」という趣旨の質問をよく頂きます。

確かにそう思われる気持ちは良く分かります。私も最初はそう思っていましたので…。

そのようなわけで今までは何となくお茶を濁して「そうですよねぇ 心を込た方がいいんでしょうねぇ」などと答えていました。

…が、最近になって一つ気付いたことがあります。

ありがとうという言葉は心を込めると、過去にあったことや人、または現在お世話になっている人やものに対しての感謝を表すことになるのだと思います。

つまり、現時点で感謝できる対象がなければ心を込めてありがとうとは言いにくいということなんです。

 

逆に心を込めずにありがとうというと、それはこれから起きるであろう素晴らしいことに先に御礼を言うことになるのではないかと思うのです。

つまり未来に対して感謝をするということになります。

感謝をするような未来は明るい未来でしょうから、知らず知らずのうちに自分が明るい未来を信じてしまうのではないでしょうか?

明るい未来を信じた人には必ず明るい未来がやってきます。

ということは… もしかしたら明るい未来のためにはむしろ心を込めずにありがとうと言った方がよいのかもしれません。

ちょっと無理がありますでしょうか?

誰もあなたを傷つけることはできません 2

2011年10月19日 水曜日

前回のはごちゃごちゃと長い説明で分かり難くなってしまいましたが、簡単にまとめると以下のようになるかと思います。

  1. 外部の刺激が「直接」私達の心を打つことはない
  2. 私達の心に実際に直接影響を与えるのは、外界から伝わって動かされた私達の内部にあるもの
  3. 私達が世界をどう見るかで世界が変わるように、世界が自分に与える影響も自分でコントロールできる
  4. 自分の中を変えることは、外界を変えることよりは簡単

 

これこそが、同じ外的刺激を受けても人によって感じ方が違うことの理由の一つではないでしょうか?

私にはこの現象を科学的に説明出来る程の知識はありませんが、少しずつ実践するなかで自分の役に立つということは実感できました。

 

「誰もあなたを傷つけることができない」というのは聞こえがよいのですが、実は同時に他のことも意味しています。

「誰もあなたを幸せにはできない」ということなのです。

つまりあなた自身以外あなたを不幸にする人もいませんし、逆にあなた以外にあなたを幸せに出来る人もいないのです。

もちろん、私達は周囲の人達の助け無しでは生きていけませんし、その人達が私達の幸せに影響を与えることは間違いありません。

でも、最終的にそして直接的に私達が幸せか不幸かを決めるのは、やはり私達自身だけなのだと思うのです。

 

コビー博士が「7つの習慣 」でお書きになっている「Circle of Influence(自分が影響を与えることが出来る範囲)」も、今回のテーマと関係があることだと思います。

また、私が心から信じている「願えば叶う」という現象と今回のテーマは深く関わっているはずです。

この関連についてはまた機会があれば勉強して皆様にご報告したいと思います。

 

 

もし皆様の周囲に「私には何もできない…」とお考えの方がいらしたら是非「あなたならできる。あなたしかできない。」ということをその方と共有して頂ければと思います。

そして、できるならその時の経験を私達とも共有して頂ければ尚うれしいです。

 

みなさまがより幸せになりますように…

誰もあなたを傷つけることはできません

2011年10月18日 火曜日

人の何気ない言動に傷つくことは誰にでも経験があることだと思います。

でも自分を「実際に」傷つけているのは、他人の言動や外部の環境ではなくて自分自身だとお考えの方は意外に少なく思えます。

外部の力が私達の内部の何かを動かし、その動いたものが心を傷つける… こんなイメージだと私は考えています。

分かり難いですねよ…。

何か目に見えるもので似たようなものはないか…と考えてみたところ近いイメージが一つ思いつきました。

昔、雑貨屋さんなどによく置いてあった銀のボールが5つぶら下がっていて端っこの一つのボールをはじくと反対側のボールが飛び出す… あれです。

正式名称は「衝突球」と言うのだそうです。(youtubeに素晴らしい動画がありましたのでリンクさせて頂きました)

 

 

画面の右側2つのボールが「外界」、左側2つが「自分の内側」、そして真ん中の一つが「境界」と考えて見てください。

外界からの影響は直接内側の心に触れるわけではなく、境界を通じて内側のボールを動かします。

そして、心に直接当たるのは内側のボールなのです。

だからなんだ?と思われるかもしれませんが、これは結構すごいことなのです。

外側からの力をコントロールすることは私達には難しいのですが、内側は多くの場合自分でコントロール出来ます。

最初は難しくても練習をすればだんだん出来るようになると思います。

例えば、外界からの刺激が境界を通じて内側に来たときに、その衝撃が隣のボールに伝わらないようにしたらどうでしょうか?
(ショックを吸収するシリコンをつけるとか、衝撃の動線からずらしてしまうとか…)

内側のボールが心をたたくこともなくなりますので、痛くはないわけです。

 

世界はあなたがうごかしているでも書きましたが、私達がみる世界は私達がその世界をどのように見たいかによって全く違うものになります。

それと同じように、外側の世界が私達に影響を与えるときにも、私達自身がそれをコントロールすることが出来るのです!
(実際に意識しなくても人間が短時間にあまりにも大きな衝撃を受けると、内部にその衝撃を伝えないようにするメカニズムが自動的に動くことがあるそうです)

 

私は自己中心的ではありません

2011年9月26日 月曜日

S先生とのセッションでとんでもないことに気付いてしまいました。

私は以前から自分は「自己中心的な人間」だと思っていましたが、実はこれは大きな間違いだったということです。

私は自分のこと「しか」考えていなかったのです。
自己中心的な人は少なくても他の人のことを考えますが、私は自分のことしか考えないので自己中心的にさえなれないのです。

気付いたきっかけは、「自分はどんな世の中にしたいのか?」という自問からでした。

とても恥ずかしいのですが、私はこの質問に答えを持っていなかったのです…。

今まで「自分はどうしたい」「自分はどうなりたい」ということはいくつも考えてきたのに、この世界をどうしたいかということは一度も考えたことがなかったのです…。

私のことをよくご存知の方は「なんだ今頃気付いたのか」とおっしゃるかもしれませんが…。

遅ればせながらも本当に気付けてよかったと思います。

ありがたい ありがたい

世界はあなたが動かしている

2011年9月18日 日曜日

世界はあなたが動かしている と言われて「はい その通りです」と胸をはって言う人は多くないと思います。

でも「(私達それぞれがみる)世界は確実に私達一人一人が動かしている」と私は思います。

個人が(自分がみる)世界をどのようにとらえるかという自由な権利。

個人がどこからどこまでを(自分の)世界とするかという選択。

個人が(自分の)世界にどれだけの影響力があるか(または無いか)という信念。

これを私達一人一人が自由に選択できることを考えるとやはり「(私が決める)世界は私が動かしている」と思います。

 

だからこそ「(自分の)世界は○○さんのせいで悪くなった」と言ってしまうと、スゴクもったいないと思うのです。

「人のせいにする」というのはネガティブなイメージがありますが、それは言ったご本人の「(ご自分の世界を良くする)権利の放棄」を意味するからだと思います。

誰もがが自由に行使できる出来る「(ご自分の)世界を良くする権利」。

この素晴らしい権利を私達全員が持っていることに感謝します。

「世界は自分が動かしている(だからこそ、そこで起きることは全て自分の責任)」と思う人が増えることは、世界の未来の明るくするかもしれないと思うのは欲張りでしょうか?

 

自分年表

2011年9月8日 木曜日

3日連続でS先生のお話です。

私の話が「軽妙だけど深みが無い」理由は、過去の幸せを十分に味わっていないからとのご指摘を頂き驚いていると、更に続けて先生はその解決の助けになるツールを私にくださいました。

先生はそのツールを「自分年表」とおっしゃいました。

このツールはとてもシンプルで手軽です。

必要なものはA4用紙2枚以上と筆記用具(書き直せるように鉛筆がおすすめです)だけです。

A4用紙は縦に使い真ん中で横に半分に(A5サイズになるように)折り、折り目がついたら開きます。

折り目線よりも上の段にはプラスのこと(良い出来事、うれしかった事)を、下の段にはマイナスのこと(悪い思い出、悲しかった事等)を書きます。

紙の左端がゼロ歳時で、右に行くほど年齢を重ねることになります。

例えば40歳の方がA4用紙を2枚使う場合は、1枚目が0歳から20歳、2枚目が21歳から40歳になります。

もう少し分かりやすくしたければA4用紙を縦に半分に(縦長に細長くなるように)折り目をつけると、1枚目の折り目が10歳時、2枚目の折り目が30歳時ということになります。

例えば「小学校2年生の時にかけ算九九を覚えるのに苦労した」という項目を書く場合は、まず小学校2年生は7歳か8歳ですから1ページ目の半分よりやや左側周辺に書くことになります。そして「苦労した」のはマイナスの事ですから下の段に書くことになります。

 

A4用紙が2枚以上必要な理由は実際にやって頂くとお分かり頂けると思いますが、書くスペースを十分に確保するためです。

ちなみに私の場合はA4用紙2枚で始めましたが、スペースが足りず途中でA4用紙4枚にしてやり直しました。

 

これほどシンプルなツールですが、効果は大きいと実際にやってみて感じました。

私の場合はプラスのことがどんどん出てきてあふれ出してきました。

そして小学校時代に仲良くしてくれた友達の名前がフルネームでどんどん思い出されてくるのです。

その名前を書いていくうちにS先生がおっしゃっていた「幸せを十分に味わっていない」ということの意味が徐々に分かってきたのです。

保育園の頃にみた空を真っ赤にするくらいたくさんの赤とんぼ、本当の意味で優しくしてくださった先生方、最近まで顔さえ思い出すことが無かったのにその当時は世界に他に誰もいないと思えるくらいに仲良くしてくれた友達…。

こんなことが私の中からあふれ出てくるのです。

と同時になんだか泣けてくるのです。 「あ~ 自分は何故こんなにたくさんの良い思い出を今まで忘れていたんだろう」…と。

素晴らしいツールです。皆様も是非お試しください。

 

軽妙だけど深さが無い

2011年9月7日 水曜日

痛きもの問題点指摘でコンサルタントのS先生に教えて頂いたのは…

「あなたの話は軽妙だけど深さが無い」

ということでした。

 

ちなみに軽妙というのは「気が利いている、しゃれている、機知がある」というような意味だそうです。(言葉の意味まで先生に教えて頂いてしまいました)

先生は続けて、「理由は、あなたが今までの幸せをきちんとかみしめずにきてしまっているから」と原因を教えてくださいました。

 

なるほど… 確かに私は運良く今までずっと幸せな生活をしてこれました。

しかし、それを何となく当たり前のように考えてこれから来る幸せの方にばかりに興味があり、過去の幸せについてゆっくり立ち止まって考えることは少なかった気がします。

 

先生は、私に初めて会って30分もしないうちにこれを言い当ててしまったのです。

すごい! S先生 スゴ過ぎます!

痛きものテクニック

2011年9月6日 火曜日

ふとしたことでコンサルタントの先生とお話をする機会を頂きました。

お話をして「やっぱりプロは違うんだ!」と感心してしまいました。

一番スゴイと思ったのは「痛きもの問題指摘」です。

マッサージやストレッチで言われるのは、「ちょっと痛いけど気持ちいい」という強度で行うのが良いということです。

痛いけど気持ちいい…で「痛きも」というわけです。

今回お目にかかった先生は、私の課題や問題点をこの「痛きも」でご指摘くださったのです。

痛みは十分にあるので自分の問題点はハッキリと認識できますが、必要以上に痛くなく気持ちいいので素直にその指摘を受け入れることが出来るのです。

スゴイテクニックです。 私もこの痛きもの指摘が出来るようになりたいと思いました。